【幸せセラピー】傷ついたと思った心を癒す考え方

よく「心に傷がつく」と言うけれど、ほんとうは心に傷はつきません。

なぜかといえば、私たちは、「神様の分け御霊(わけみたま)」をもらっているからです。

神というのは、愛と光の塊なのです。つまり光なのです。光が、私たち生命体の本体なのです。

光は絶対に傷つきません。

何をやっても光に傷をつけることができない。

ここで、映写機を想像してください。

映写機は光源を持って光を発して、フィルムを通り、スクリーンに映像を映します。

この映写機から発する光が命であり、魂であると考えてください。

つまり映写機から出る光が、フィルムを通ってスクリーンに映ったときに、いろいろな映像が現れる。

光に傷がついているから、映像に傷が現れるのではありません。

もし映像に傷がついているようならば、フィルムに傷があるからです。

要するに、心や魂ではなく、考え方というフィルムに傷がついているのです。

考え方に傷があれば、傷のついた現象が出てきます。

その現象を見て、「ああ、やっぱり傷がついているんだ」と心に傷があると勘違いして、またさらに心の傷が深くなったりする。

そんなふうに思い込んでいる人は多い。

だけど、心は傷つかないのです。

それは、単なる“考え方というフィルム”なのです。

同じことに遭遇しても、心に傷がついたと言う人もいれば、まったく傷つかないと言う人もいるのです。

これこそ、心には傷がつかないという証明みたいなものでしょう。

たとえば、小さいころ高い階段から落ちてとても怖い思いをしたけれど、怪我ひとつしなかったとします。

その怖い思いを高所恐怖症などで、ずっと心の傷として思い込んでいる人がいたとします。

でもある日、
「あんた、運がいいんだよ。ちっちゃいときにそういう経験したでしょう。

でも怪我ひとつしなかったのよね。だからあなた、すごい人に護られているから、すごい得なんだよ」と言われ、「あっ、そうなんだ」と思ったときに、その人の考え方は変わります。

心に負っていたはずの傷など、忘れてしまいます。

あくまで考え方です。

心ではないのです。

話は飛ぶようですが、私は中学校までしか出ていません。

自分の学歴を気にして、「中学しか出てないからだめなんだ。学歴がないからうまくいきそうもない」なんて言っていると、実際にだめなことが起こってきます。

ところが、自分は社会に早く出ることができて得だと思えば、実際に得なことが起こります。

高校、大学に在籍する年数を足せば7年もあります。

中卒ということは、他人より7年分も先にスタートすることができるのです。

マラソンだって7年も先に走っていれば、相当なところまで行くでしょう(笑)

要するに、「だめだ、だめだ」と思っていれば、だめなことが起こる。

「自分は得なんだ」というフィルムに差し替えれば、いいことが起こるのです。

斎藤一人 著
『普通はつらいよ』より

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